2026.05.12

未来を創るスター・サイエンティスト アカデミック記事

溶媒なき化学反応の衝撃 ー 北大のイノベーター研究者が引き起こす化学産業のゲームチェンジー

溶媒なき化学反応の衝撃 ー 北大のイノベーター研究者が引き起こす化学産業のゲームチェンジー
伊藤 肇

伊藤 肇

- ito hajime -

北海道大学大学院工学研究院 教授/同大学ディスティングイッシュトプロフェッサー。化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD)副拠点長。株式会社メカノクロス共同創業者・取締役。

1991年京都大学工学部卒業、1996年同大学院博士課程修了。筑波大学助手、岡崎国立共同研究機構分子科学研究所助手を経て、2001年に米国スクリプス研究所客員研究員。2002年より北海道大学、2010年より教授。第77回日本化学会賞、名古屋シルバーメダルなど受賞多数。専門は有機合成化学、有機元素化学、メカノケミストリー。
📌 ▼1分でわかる!この記事のまとめ(クリックで開きます)

北海道大学の伊藤肇教授は、有機化学合成において「液体に溶かす」という200年来の常識を覆した。容器の中で粉を高速でぶつけて固体のまま反応させる技術「メカノケミカル合成」を実用レベルに押し上げ、例えばこれまで16時間かかっていた化学反応を5分に縮めた。石油由来の有機溶媒を大幅に減らし、廃棄物もCO2も削減。これまで作ることができなかった新物質まで手が届くようになった。2019年にScience誌で発表すると企業からの引き合いが殺到。2023年にスタートアップ「メカノクロス」を共同創業し、累計約10億円を調達した。100兆円ともいわれる化学産業の約2割を塗り替える未来を、この研究者は淡々と、しかし確信を持って描いている。

私たちの日々の暮らしを支えるスマートフォンや医薬品。これら全ての化学製品には、製造工程において“ある共通の足枷”が存在する。それは、物質を反応させるために、大量の「溶媒(液体)」が必要だという事実だ。

薬を1つ作るのに、薬そのものの10倍の量の溶媒が必要といわれている。

有機化学合成では、石油から作った有機溶媒という液体に原料を溶かし、反応させ、目的の物質を取り出す。残った液体は、焼くか捨てるかしかない。焼けばCO2が排出され、捨てれば土壌や水を汚す。

この営みは19世紀以来、200年以上ずっと続いてきた。医薬品も、スマホの部品材料も、すべてこの「溶かして、反応させて、捨てる」という工程の上に成り立っている。年間100兆円を超える化学産業が、途方もない量の溶媒を消費し、大量の廃棄物を出し続けてきた。しかしそれは「仕方のないこと」だった。200年間、誰も別の方法を見つけられなかったからだ。

溶媒に溶かすのは、そもそも化学反応を起こすための前提だ。分子と分子が液体の中で出合い、ぶつかり合うことで反応が進む。教科書にはそう書いてあり、先生もそう教える。「固体と固体は反応しない」──それが常識だった。

北海道大学の伊藤肇教授は、その前提そのものを覆す「メカノケミカル合成」を研究している。溶かさず、固体のまま、粉と粉をぶつけて反応させる。その結果、例えばこれまで約16時間かかっていた化学反応が5分で完了する。廃棄物は激減したうえに、200年の間は考えられなかった新しい化合物の開発にまで手が届くようになった。これは、化学の世界における常識の書き換えだ。

Part1:なぜ16時間の化学反応が5分で終わるのか? ── 溶媒なき反応の衝撃

なぜ薬を1つ作るのに10倍の廃液が必要なのか

有機化学の世界には、絶対的な前提がある。

反応を起こすには、物質を液体に溶かさなければならない。そのために使用する液体の総称を有機溶媒という。医薬品を作るにも、半導体の材料を加工するにも、まずは有機溶媒を使って物質を溶かす。

一般的に、有機溶媒は生成物の10倍の量が必要で、反応が終わればすべてがゴミになる。

「使い終わったらもちろん捨てるだけです」

伊藤教授の口調は淡々としている。だがこの一言が指しているのは、200年以上にわたって有機化学の根底に横たわってきた巨大な課題だ。薬を作れば作るほど、廃棄物が積み上がる。CO2が出る。誰もがそれを知りながら、それに変わる手段を見つけられなかった。

固体のまま反応させるボールミル

伊藤教授が切り拓いた学問領域は、機械的なエネルギー──振動や衝撃──で化学反応を起こすという発想に基づいている。溶媒を使わない、あるいは大幅に減らせるのが最大の特徴で、近年世界的に急速な注目を集めている分野だ。

伊藤研究室のボールミル装置

伊藤研究室で見せていただいた実際のボールミル。振動が早すぎて写真では写せない。

伊藤研究室は、このボールミルを有機合成に本格応用することを世界に先駆けて成し遂げた。その結果は、数字が物語る。

16時間かかっていた化学反応が5分で終わる衝撃

16時間が、5分になる。この差は「ちょっと速くなった」という話ではない。16時間の反応を工場で回すには、プロの技術者がその間ずっと張り付き、夜通し安全を監視しなければならない。それが5分で終わるなら、現場の風景そのものが変わる。人が張り付く必要がなくなれば、自動化やロボット化の道も開ける。

「コーヒー作るみたいな感じで、薬ができるということが可能になるかもしれない」

伊藤教授は笑いながらそう言うが、誇張ではない。新薬開発では通常、候補となる化合物を100種類以上合成して1つずつ薬効を試す。従来法では1つ作るのに2週間。100種類揃えるだけで年単位の時間が消えていく。それが1日で可能になれば、研究開発のスケジュールそのものが書き換わる。

速さだけではない。溶媒をほとんど使わないから廃棄物が激減する。時間も、CO2も、コストも、一網打尽に解決できるのが伊藤教授の技術なのだ。

溶けない物質が使えるようになった

もう一つ、有機化学には、“暗黒大陸”と呼ばれるような領域があった。それは溶媒に溶けない物質だ。溶かせなければ反応できない。反応できなければ、使えない。だからこれまでは捨てるしかなかった。製薬の途中工程で溶けない中間体ができれば、そこで効率がガクンと落ちる。半導体の製造でも、溶けない素材がネックとなって、性能の限界を突破できないという壁があった。200年間、誰もその壁を打ち破ることができなかった。

「暗黒大陸のように使えないものがあったんですが、僕らの研究を使うことで、それを触ることが可能になりつつある」

これは化学産業の利益構造にも直結する。反応で目的物質がどれだけ取れるかを示す「収率」という指標がある。

【💡解説:収率(しゅうりつ)とは】

化学反応で理論上得られる最大量に対して、実際に得られた量の割合。100%に近いほど効率がよく、化学メーカーの利益に直結する最重要指標の一つ。

化学産業のビジネスは、突き詰めれば単純だ。たとえば10万円のAと10万円のBを反応させて、30万円のCを作る。収率100%なら10万円の利益。だが50%しか取れなければ、15万円分のCしかできず赤字になる。1000万円規模の製品なら、収率が50%から60%に上がるだけで100万円単位の利益が動く。ボールミルを使うと、この収率が上がるケースが多い。

200年間、なぜ誰も固体反応を試さなかったのか

では──200年間、なぜ誰もやらなかったのか。

「僕たち学生の頃は想像もしてなくて。『固体と固体は反応しない』ってもう先生からずっと言われてたんで」

教科書がそう書いている。先生がそう教える。すると学生はそう信じる。200年の蓄積が、「溶かさなければ始まらない」という常識を鉄壁にしていた。疑う余地すら、なかった。

伊藤教授は、自らを「天邪鬼」と呼ぶ。

「溶媒ちゃんと入れないと駄目だぞって教わったからやってたけど、僕天邪鬼なんで(笑)。めんどくさいからそのままやりたいなと思って一生懸命やったらなんとかできた」

久保田博士が3週間で出した成果

固体反応への興味はもとからあった。だが本格的に動いたのは、ある人材を呼び戻せた時だった。

久保田浩司博士。伊藤研究室で博士号を取得後、カリフォルニア大学バークレー校で2年間のポスドク、続いてMITでも博士研究員を務めた俊英だ。伊藤教授が競争的資金を獲得し、助教として北海道に呼び戻した。そしてこのテーマを託す。「一緒にやろう」と。

成果が出るまでに要した時間は、3週間。

「『できました』って言ってきました」

伊藤教授はあっさりと言う。だが、その「3週間」の意味は重い。固体のままでうまく反応が進むよう、触媒や添加剤の条件を精密に調整し、世界で初めて固体のままの有機合成を実用水準で成立させた。

「誰もやってなかっただけみたいな、ところはあります」

この言葉を額面通りに受け取ってはいけない。「誰もやらなかった」のは、誰もがそれを不可能だと信じていたからだ。

「え、こんなんでうまくいくの? ってなって、びっくりすることが多いですね」

2019年、研究成果はScience誌に掲載された。久保田氏は現在、これまでの研究が認められ、若干37歳で北海道大学の教授に昇進し、伊藤教授と二人三脚で研究を続けながら、メカノクロスでも取締役として技術基盤を支えている。

伊藤教授が所属する北海道大学工学部には、化学の歴史を動かしてきた系譜がある。1979年、同工学部の鈴木章博士と宮浦憲夫博士が「鈴木・宮浦カップリング」を発表した。異なる有機分子の炭素同士を効率よく結合させるこの手法は、医薬品や機能性材料の開発を根底から変え、2010年のノーベル化学賞を受賞した。伊藤先生は後継にあたる研究者だ。鈴木・宮浦が「分子をつなぐ方法」を変えたのだとすれば、伊藤・久保田は「反応を起こす方法」そのものを変えた。同じ北海道の研究室から、半世紀の時を経て、化学の常識を書き換える成果が再び生まれたことになる。

この発見に、世界の化学界が北海道に目を向けた。

取材を行った2月の北海道大学

取材を行った2月の北海道大学。

Part2:「VCって何?」から始まった起業 ── 北大発スタートアップ・メカノクロスの誕生

Science掲載後に殺到した企業の引き合い

Science誌の論文が出た後、伊藤教授の研究室に異変が起きた。企業からの共同研究の打診が、次々と舞い込んできたのだ。

「非常に多くの企業様から興味持っていただいて、共同研究しようということで、たくさん引き合いがあったんですね」

コロナ禍の真っ只中だった。研究室は教授と学生で回している。大学は研究をし論文を書く場所であって、企業からの依頼をさばく体制にはなっていない。押し寄せるニーズを前にして、伊藤教授はある確信を持った。「これはものになるかもしれない」

学内ピッチでの2連覇、そして創業へ

北海道大学にはスタートアップを支援する部署があった。そこに誘われ、学内のピッチコンテストに出場する。2回出て、2回優勝。北海道知事賞も2回受賞した。

会場にとあるベンチャーキャピタルが来ていて、声をかけられた。しかし伊藤教授は、彼らが何を目的にしているのかがわからなかったと言う。

「VCって何だろう? この人たちは何で声をかけてくるのか。一体何がしたいんだろうぐらいの感じだったんですよね。投資も融資も何もわからなかったので」

教え子が大企業を辞めて社長に

会社を作るなら、社長がいる。大学の規定で教授はCEOになれない。そもそも研究と経営を一人で両立できるとは、伊藤教授は思っていなかった。

「彼の働きを見てるととてもじゃないけどできない。使う頭も全然違うので。あれやろうと思うと全部そっちの能力を使わないといけないから、研究はまずできない」

ベンチャーキャピタルの助言もあり、研究室のOBに声をかけた。気心の知れた相手なら、方針の違いで衝突しにくい。メーリングリストで呼びかけると何人かから返事が来た。その一人が、化学最大手メーカー出身の齋藤智久氏だった。

「以前から社長になりたかったみたいな話を聞いたんで。まあちょうどよかった」

齋藤氏は、伊藤教授が准教授時代に直接指導した教え子だ。修士課程を伊藤研で過ごしている。互いの人柄も、仕事のやり方も知っている。大企業を辞し、北海道に戻った。場所を見つけ、人を集め、資金をまとめる。これを齋藤氏は一人でやりきった。2023年11月、株式会社メカノクロスが誕生した。

「彼の働きを見てるととてもじゃないけど私ではできない。使う頭も全然違うので。あれをやろうと思うと全部そっちの能力を使わないといけないから、研究はまずできない。社長に恵まれたかなということですね」

ディープテックの起業は、ITスタートアップとは根本的に異なる。研究室が必要で、装置が必要で、初期投資は億を超える。アイデア一つでガレージから始めるわけにはいかない。だからこそ、技術を理解し、経営に全力を注げる社長の存在が決定的だった。

装置の“販売”ではなく化学反応の“設計”

メカノクロスの事業は、単なる装置の販売ではない。化学反応の「翻訳」だ。企業が抱える課題を受け取り、ボールミルを使った手法で再設計して返す。溶媒を減らせないか。溶けない素材を何とかできないか。小さなスケールで検証し、成功すればスケールアップし、最終的に工業生産の道筋をつける。量産化の実現に向けては、大手化学メーカーとの協業もすでに始まっている。

大学特許と自社特許の二段構え

特許戦略も明確だ。基本特許は北海道大学が保有し、メカノクロスにライセンス供与する形をとる。一方で、メカノクロスが独自に開発した応用技術は自社特許として押さえていく。企業で特許実務を長く手がけてきた専任スタッフも採用済みで、知財の守りと攻めの両面を固めている。

累計の資金調達額は約10億円。2027年には海外への進出も動き始めている。特に環境規制の厳しい欧州では、溶媒を大幅に減らせるこの技術への関心が特に強い。

研究者は研究に、経営者は経営に

伊藤教授自身は取締役として技術顧問に徹する。メカノクロスとのミーティングは週約数時間程度で、それに加えて随時アドバイスも行っている。経営や事業戦略は齋藤氏と専任スタッフに任せ、自身は企業から持ち込まれる化学反応の課題に対して、長年の研究経験に基づく知見を返す役割だ。

「本来どらちも24時間フルで全てのリソースを振らないと、とてもじゃないけどいい仕事はできないと思うんですよ」

研究者は研究に全力を注ぎ、経営者は経営に全力を注ぐ。経営と研究の最適なバランスは、最終的に今の体制に行き着いた。

Part3:今役立つこと、50年後に役立つこと──基礎研究と社会実装

100兆円産業の2〜3割が置き換わる未来

化学産業の世界市場は100兆円を超える。伊藤教授は、20年後にはその2割から3割が、ボールミルを使った固体反応に置き換わると見ている。

「メカノケミストリーってすごく便利なんで、将来的には化学反応の2割か3割ぐらいがこれになると思ってるんですよ。20年後は」

控えめな口調だが、2割でも20兆円だ。たとえば医薬品の合成は通常10段階ほどのステップを踏むが、そのうち3ステップ程度をボールミルに置き換えることは十分に想像できるという。現在、顧客はどれくらいいるのか。

「アーリーアダプターの会社さんが数十社ほど、どんどん集まってきてくださっています」

まず日本で実績を積み、それを携えて海外へ出る。コンサルティング型の事業には信頼と対話が不可欠で、実績のない日本のスタートアップに、海外の大企業はまだ動かない。遠回りに見えて、最も確実な道だと伊藤教授は考えている。

基礎研究が実を結ぶには50年かかる

メカノクロスが「今すぐ役に立つもの」だとすれば、大学の研究室は「50年後に役に立つもの」を生み出す場所だ。伊藤教授にとって、この二つは切り離せない。

社会実装について伺うと、伊藤教授はスマートフォンの話を始めた。

「スマホって元々半導体のトランジスタで。あれは多分1940年代ぐらいに、ゲルマニウムの板の上に三角の棒を置いて、信号が増幅されるか、みたいなことをやったことがスタートなんですね」

ゲルマニウムの板の上に端子を置き、信号が増幅されることを確認する。それがトランジスタになり、集積回路になり、コンピュータになり、70年の時を経て、私たちのポケットに収まるスマートフォンになった。もし1940年代に「そんな実験、何になるのか」と打ち切っていたら、今の世界は存在しない。

「基礎研究から役に立つまでって、結局2世代ぐらいかかっちゃうかなと思います。50年先になにかいいことが起こると信じるのが基礎研究と考えています。役に立たないわけじゃなくて、時間がかかる」

この一言に、基礎研究者としての矜持がにじむ。「役に立たない研究」などない。ただ、実を結ぶまでの時間が、人一人の一生より長いだけだ。

理学は「発見」、工学は「ものづくり」

理学部と工学部の違いを、伊藤教授はこう整理する。理学部の研究者は「見つけたい人」。工学部は「作りたい人」。ガリレオ・ガリレイは地動説で知られるが、元々は大砲の弾道計算をする人間だった。火薬の量を変えたらどの放物線を描いてどこに落ちるか──その実用計算の延長線上に、「実は地球が回っている」という発見があった。

“見つけること”と“作ること”は、ヨーロッパでは歴史的に地続きだった。日本ではそれが分断されがちだと伊藤教授は感じている。

「根本が分かってないと応用もできないと思います」

今のノーベル賞ラッシュは「貯金」にすぎない

だが、その根本を支えるはずの日本の研究基盤は、いま深刻な危機にある。

ノーベル賞は20年、30年前の研究成果に対して贈られる。日本の受賞者はいまのところ途切れていないが、伊藤教授は冷静だ。

「今の受賞ラッシュは、かつて活発だった日本の大学での研究の貯金にすぎない」

この言葉は、日本の基礎研究の現状を端的に映し出している。1990年代から2000年代、大学の研究室には大学の運営費交付金からまとまった研究費が配分されていた。一研究室あたり300万〜400万円。科研費が取れなくても、最低限の研究は続けられた。それが2004年の国立大学法人化以降、毎年約1%ずつ削減され続け、いまでは一研究室あたり10万円程度にまで落ち込んだ大学もある。試薬1本買えば消える金額だ。

なぜ日本の多くの研究室は研究がしづらいのか

競争的研究資金である科研費の採択率は約3割。裏を返せば、7割の研究室は競争的資金を得られていない。かつての運営費交付金があれば、その7割の研究室もなんとか研究を続けられた。しかしそれがほぼなくなった今、科研費を取れなければ文字通り「何もできない」状態に追い込まれる。

「採択率から考えると、日本の大学のかなりの割合の研究室は研究が環境的に難しい状況ということです」

研究費が削られれば、研究成果が減る。成果が減れば「研究力がない」と評価される。その評価がさらなる予算削減を正当化する。負のスパイラルの構造は明らかだ。

高騰するオープンアクセス費用

オープンアクセスの問題も、研究費削減と連動している。「税金で生まれた知的成果は全部公開すべき」というのはよくわかる。だが、Nature系の論文をオープンアクセスで出すには1本約170万円かかる。伊藤研究室は年間約20本の論文を出しているため、もし全部公開すれば年間約2000万円という膨大な額になる。学術論文出版の仕組みの矛盾が現場研究者を苦しめる。

大学を離れる若手と、米国に20年遅れた支援環境

研究費の削減は、若手研究者の流出に直結している。

資金不足がワークライフバランスを悪化させ、大学の魅力が下がり、優秀な人材が離れていく。伊藤教授の周囲でも、国の支援プログラムに採択された優秀な博士課程の学生が「大学の研究者は難しい、企業への就職を考えています」と口にするケースが増えているという。若手が離れれば、研究の担い手が減る。担い手が減れば、次の世代のノーベル賞候補も生まれない。「貯金」はいつか尽きる。

スタートアップの支援環境にも課題が残る。北海道大学にはピッチイベント等の支援はあるが、その先の実質的な伴走支援はまだ薄い。伊藤教授は2001年に米国スクリプス研究所に留学した際、サンディエゴの研究所を核にスタートアップ企業が村のように広がるエコシステムを目の当たりにした。MITのマサチューセッツ周辺にも同様の集積がある。20年以上前にすでにその仕組みがあった米国に対し、日本はようやく同じ道を歩き始めたところだ。

「今すぐ」と「50年後」を両手に持つ

後進の育成について尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「自分の研究を引き継いでというのはもうそれはエゴなんで、そういうことはしません」

きっぱりと言い切る。弟子に自分の研究を継がせようとは思わない。その人にはその人のやりたいことがある。自分の論文を読んだ海外の研究者が、それぞれの発想で発展させていけばいい。研究は「集団知」で回る。一人の努力の結晶は、論文という形で世界に開かれ、見知らぬ誰かの手で次の一歩になる。

インタビューの終盤、伊藤教授がぽつりと言った。

「すぐ役立つのはメカノクロスで、将来役立つのはラボでやるという棲み分けです」

その整理をどう思うかと聞くと、「ハッピーです」と笑顔で語った。

研究とは、100回やって1回当たる世界だ。99回の失敗に耐えるだけの根気とポジティブさがなければ続かない。それでも走り続ける理由を、伊藤教授はこう語った。

「世界で誰もわかっていないことを発見して、その論文を温めている時の楽しさ」

まだ誰にも知られていない発見を自分だけが握っている。論文にまとめ、世に送り出すまでの時間。その静かな高揚が、この研究者を動かしている。