2026.01.14

未来を創るスター・サイエンティスト アカデミック記事

【第1回】スター・サイエンティストとは何者か? 日本のイノベーションを阻む「断絶」と「日米の決定的違い」

【第1回】スター・サイエンティストとは何者か? 日本のイノベーションを阻む「断絶」と「日米の決定的違い」

牧 兼充

牧 兼充

早稲田大学ビジネススクール准教授
主な兼職として、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)監事、カリフォルニア大学サンディエゴ校ビジネススクール客員准教授など。


第1章:イノベーションの「断絶」に架ける橋

「研究に没頭する優秀な科学者」と、「リスクを恐れぬ俊敏な起業家」。
「研究者にとって、『研究』と『社会実装』に割く時間はトレードオフ」と捉えられており、この二つのペルソナは、私たちの社会において、長らく水と油のように、相容れない存在として認識されてきた。一方は真理の探究を行い、もう一方は市場という荒波に身を投じる。

しかし、もし、そのギャップが根本的な誤解だとしたら? もし、その断絶の谷に、実は太く強靭な橋が架かっているとしたら?
さらに言えば、「卓越した研究パフォーマンスを持つ科学者こそ、スタートアップを成功に導く確率が最も高い」という揺るぎない事実が存在するとしたら、日本のスタートアップエコシステム、ひいては日本全体のイノベーションの景色の見え方が、根底から覆るのではないか。

この刺激的な問いに、長年の実証研究をもって答えを導き出そうとしている人物がいる。スター・サイエンティスト研究の国内における第一人者である早稲田大学ビジネススクールの牧兼充准教授だ。その研究は学界に留まらず、近年、岸田元総理が公式の場で「日本でスター・サイエンティストを育てる」と明言するなど、国の科学技術・イノベーション政策の中枢にまで、静かだが確かな影響を与え始めている。

(出典:牧准教授提供)

一体、「スター・サイエンティスト」とは何者なのか。それは単なる流行りのキャッチフレーズなのか、それとも日本の「失われた30年」を終わらせるための、本質的な処方箋となりうるのか。そして、スタートアップの最前線で戦う経営者にとって、彼らの存在はどのような意味を持つのか。

第2章:出会い ― すべては「二つの世界の統合」への渇望から始まった

「私がこの研究にのめり込む直接のきっかけは、政策研究大学院大学で教えていた頃に遡ります。そこでの私のミッションは、『科学技術政策』と『アントレプレナーシップ』という、当時は全く別物として扱われていた二つの分野を統合する授業を設計することでした」

アカデミアにおける専門分野の細分化は、知の深化に貢献する一方で、領域間に深い溝を生む。科学技術の社会実装を考える上で、その担い手である起業家精神との連携は不可欠なはずなのに、学問の世界では両者が交わることは稀だった。

「どうすれば、この断絶した二つの世界を、一つのフレームワークで学生に提示できるのだろうか。悩んでいたその時、脳裏に閃光のように蘇ったのが、米国の博士時代のセミナーで出会ったザッカー&ダービー教授の研究、すなわち『スター・サイエンティスト』という概念でした」

それは、まさに探し求めていた「ミッシングリンク」だった。

「『研究パフォーマンスの高いサイエンティストは、スタートアップを立ち上げても成功確率が高い』。これこそ、科学技術とアントレプレナーシップという二つの世界を繋ぐ、完璧な架け橋だと直感したのです。研究の卓越性が、事業の成功確率と直接的な因果関係で結ばれている。この仮説がもし日本でも成り立つのであれば、我が国のイノベーション政策は根本から変わるはずだ、と」

この閃きが、牧准教授をスター・サイエンティスト研究という広大な海へと漕ぎ出させた。JST(科学技術振興機構)の「政策のための科学」プログラムに採択されたのは2017年。それは、日本のイノベーションの未来地図を書き換える研究の始まりだった。
まず着手したのは、「スター・サイエンティスト」の定義を、日本に根付かせることだった。

「スター・サイエンティストとは、単にノーベル賞を受賞したような著名な研究者を指すのではありません。それではあまりに範囲が狭く、普遍性がない。我々が重視したのは、言葉のイメージではなく、定量的に測定可能な指標です」

先行研究には、特定の発見(例えばDNA配列の発見者)をスター・サイエンティストと定義するものもあったが、それではバイオ分野にしか適用できない。牧准教授が、メンターであるリン・ザッカー氏との議論の末に採用したのは、「ハイリー・サイテッド・リサーチャーズ(Highly Cited Researchers)」、すなわち「被引用数の極めて多い論文を、継続的に発表している研究者」という定義だった。これならば、分野を横断して客観的に「研究の世界で大きなインパクトを与えている科学者」を抽出できる。

「そこからの道のりは、地道なものでした。巨大な論文のデータセットから引用数の多い論文を抽出し、それを研究者個々人と紐つけて、分野別のランキングを作成する。更にはリストアップされた研究者一人ひとりの情報を、RA(リサーチ・アシスタント)が手作業で確認し、日本のスター・サイエンティストのデータセットを構築していきました。半年以上かかる、気の遠くなるような作業でしたね」

そして、painstakingly(丹精込めて)構築されたデータを分析した結果、見えてきたのは、牧准教授の最初の直感を裏付ける、驚くほど明瞭な景色だった。

「アメリカだけの特殊な現象なのかもしれない。成熟度が低い日本では、この法則は成り立たないのではないか――。当初抱いていたそんな疑問は、完全に覆されました。日本においても、スター・サイエンティストはスタートアップを立ち上げる確率が高く、VCからの資金調達額も多く、そして成功確率も有意に高い。この事実は、明確に示されたのです」

科学の深淵を探求する能力と、事業を創造し成功させる能力。その二つの間には、国境を越えた普遍的な因果関係が存在した。この発見こそが、後に経済産業省の審議会や内閣官房の構想会議へと繋がり、国の政策を動かすことになる、巨大なうねりの第一波となったのである。

第3章:鏡の中の自画像 ― 日米エコシステムの決定的違い

日本でも、スター・サイエンティストがイノベーションの鍵を握る。この事実は証明された。しかし、牧准教授の研究が深まるにつれて、その「在り方」において、日米間には看過できない、決定的な違いがあることもまた、浮き彫りになってきた。

「これはザッカー氏とも議論して非常に面白かった点なのですが、日本のスター・サイエンティストは、アメリカのスター・サイエンティストに比べて、より多くの企業と同時に共同研究を行っている傾向が顕著なのです。一社と深く付き合うアメリカのスター・サイエンティストに対し、日本のスター・サイエンティストは、ある意味で『浮気性』と表現できるかもしれません」

アメリカのスター・サイエンティストが一つの企業やスタートアップと深く、時には排他的な関係を結ぶのに対し、日本のスター・サイエンティストは複数の組織と広く、しかし浅く関わる。なぜ、このような違いが生まれるのか。

「理由は複合的でしょう。一つには、日本の企業が大学に投じる一社あたりの研究費が、アメリカに比べて少ない。そのため、研究者側も複数のソースから資金を確保せざるを得ない。もう一つ、より構造的な理由として、日本では国立大学の力が強く、その設立理念には『研究成果を広く社会に還元する』という公的な役割が含まれている。一社とだけ独占的な関係を持つより、多くの企業と連携する方が、その理念に合致するという考え方もあるのかもしれません」

この「浮気性」とも言える構造は、一見すると多くの企業にチャンスを与える、公平なモデルのようにも見える。しかし、ことスタートアップの成長という観点から見れば、それは致命的な足枷になりかねないと、牧准教授は鋭く警鐘を鳴らす。

「スタートアップ、特にプロダクトがまだ形になっていないディープテックのシード期において、最も重要な資源は何か。それは、スター・サイエンティストの頭の中にある『暗黙知』です。論文や特許にはなりきらない、言語化困難な知見やノウハウ。これが事業の成否を分ける。そして、その暗黙知の移転は、時間とコミットメントの量に完全に比例します」

複数社と関わることで、スター・サイエンティスト一人の時間は分散する。一社あたりに注がれるコミットメントは必然的に低下し、最も重要であるはずの「濃密な知の移転」が滞ってしまう。

「これが日米のスタートアップ、特に大学発ディープテックの成長軌道に、無視できない差を生んでいるのではないか。私はそう仮説を立てています」

経営者は誰か? ― ガバナンス構造の違い

日米の違いは、共同研究のスタイルだけに留まらない。経営への関与の仕方、すなわちガバナンスの構造にも、その差は鮮明に現れる。

「アメリカでは、たとえスター・サイエンティスト自身に経営能力があったとしても、彼らがCEOに就任するケースは稀です。彼らはCSO(最高科学責任者)や技術顧問に留まり、経営はプロの経営者に任せる。なぜなら、VCを中心としたエコシステムの中で、『経営してくれるスタートアップの経営者が見つかりやすい』という、役割分担の仕組みが確立されているからです。VCの力が強く、時には創業者であるスター・サイエンティストが解任されることすらある。それだけ合理性が徹底されているのです」

翻って、日本の現状はどうか。

「日本では、スター・サイエンティスト自身が経営者となり、株式の大部分を保有し、さらに基盤となる知的財産も個人で持つ、というケースが見られます。そうなると、誰もそのスター・サイエンティストに対して何も言えなくなってしまう。ガバナンスが機能不全に陥り、客観的な経営判断が妨げられるリスクを常に孕んでいます。この構造の違いは、非常に大きい」

それはどちらが優れているかという単純な話ではない。それぞれの国の歴史的経緯や文化から生まれた構造だ。しかし、グローバルな競争の中で、どちらのモデルがよりスタートアップの成長を加速させやすいかは、冷静に見極める必要があるだろう。

【第1回】では、卓越した研究者がスタートアップを成功させる「スター・サイエンティスト」という概念と、彼らが置かれた日米の構造的な違いを分析した。【第2回】では、その理想的なエコシステムの姿・日本が抱える課題、そして未来への解決策を探る。