2026.09.18

異世界対談

【前編】アフリカ投資×勲章 社会貢献を考える

【前編】アフリカ投資×勲章 社会貢献を考える

寺久保 拓摩

寺久保 拓摩

- Takuma Terakubo -

株式会社アンカバードファンド 代表取締役

大学在学中から、バングラデシュのグラミン銀行でマイクロファイナンス事業に従事した後、サムライインキュベートへ入社。日本・イスラエルを中心に多くのスタートアップや大企業の事業立ち上げを経験。2018年に、ルワンダ共和国に移住しアフリカスタートアップを支援するベンチャーキャピタルを設立。現在は、ケニア・ナイジェリア・エジプト・南アフリカを中心に現地起業家への投資・インキュベーションを展開。
刑部 芳則

刑部 芳則

- Yoshinori Osakabe -

日本大学商学部教授

ご専門は日本近代史で、明治から昭和の制服・服飾史、生活文化史、昭和歌謡史に精通。日本大学商学部教授として活動されているが、これまでNHK大河ドラマ『西郷どん』で軍装・洋装考証、NHK連続テレビ小説『エール』『ブギウギ』『あんぱん』で風俗考証、『虎に翼』で制服考証、『ばけばけ』で時代・風俗考証を担当。昨年6月には、勲章の歴史と人間模様を書かれた「勲章の近代史: 権威と欲望のメカニズム」を吉川弘文館より発売。さらに今月、NHK出版新書より「宇野千代: 昭和モダニズムの伝道者」を発売。今年の秋に放送のNHK連続テレビ小説の主人公・宇野千代の生涯を描いている。
入山 章栄

入山 章栄

- Akie Iriyama -

浜松町Innovation Culture Cafe マスター
経営学者

慶應義塾大学経済学部卒業、三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関へのコンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。
2019年より早稲田大学ビジネススクール教授。
テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』のコメンテーターを務めるなど、TV出演も多数。
田ケ原 恵美

田ケ原 恵美

- Emi Tagahara -

浜松町Innovation Culture Cafe 見習い店員

1994年生まれ、滋賀県出身。大学在学中、学内で開催されたミスコンテストで準グランプリを受賞。
SNSのマーケティングスキルを活かしタレント・インフルエンサーとして活動を開始。卒業後はITベンチャーで広報部の立ち上げを担当。自社PRだけでなく、業界啓蒙やファンベースを生かした広報活動を経験。松竹芸能所属。

常連さんに株式会社アンカバードファンド代表取締役・寺久保拓摩さん、お客様に日本大学商学部教授・刑部芳則さんを迎え、「アフリカ投資×勲章」をテーマにディスカッション。アフリカの経済成長と消費文化、日本の近代化を支えた勲章制度、社会的ステータスとファッションの関係について、経営学者・入山章栄さんが迫ります。

学ランやセーラー服は「エリートの象徴」 制服の歴史を紐解く

入山章栄
入山
刑部さんは現在、日本近代史の中で、主にどんなテーマを研究されているのですか?

いろんな事を研究していますが、大きなテーマは二つあります。一つは、学校の制服の歴史です。学校の制服の歴史を遡ると、もともとは着物を着ていました。

戦前になると、男子は詰襟に五つボタンの学ラン、女子はセーラー服を着るようになります。ところが、今では当時の制服姿を見る機会はほとんどありません。なぜ、こうした制服に変わっていったのか、という点を研究しています。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
私は小学校の時から制服でしたが、小学校と中学校はブレザー、高校は詰襟でした。何で詰襟からブレザーに変わっていったのでしょうか?

ブレザーやセーラー服は、戦前ではエリートの象徴で、誰しもが通えるわけではなかったんですよね。戦前の旧制中学校や高等女学校はエリートで、ある程度お金を持っている人たちが行っていました。

そうすると、社会の中から非常にエリートという風に見られるわけです。ところが終戦後、我々が受けた「6・3・3・4制」になった際、中学は義務教育で誰でも行けるようになり、高等学校も入りやすくなりました。詰襟の学ランやセーラー服は、必ずしもエリートの象徴ではなくなってきてしまったわけなんです。

着ている人の立場からすると、「なぜこんな、戦時中の軍服に似たものを着なければいけないんだ」と、制服を正しく着ない生徒たちも結構出てくるようになって、ブレザーに変わってくるようになりました。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
確かに、詰襟はエリートっぽいイメージがありますよね。
今でも詰襟の学ラン、あるいはセーラー服が残ってる学校は、伝統校やお嬢様学校とか偏差値の高い学校が結構多いですね。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
寺久保さんはいかがですか?アフリカも今、学校がたくさん出来てきていると思いますが、私のイメージでは、海外でも裕福な家庭の子が行く学校は、制服のイメージがあるのですが、アフリカではどんな感じですか?
アフリカでも、制服を着て登校している小学生ぐらいの子を、たまに見かけますね。本当に都市部のお金持ちが住んでるエリアに限定されますが、そういった学校は結構あると思います。
寺久保拓摩
寺久保
入山章栄
入山
逆に、あまり豊かではない人たちは、制服を買う余裕もないですよね。
貧富の差も大きくて、都市部と地方で相当のギャップがあるので、制服における差はまだまだ大きいと思っています。
寺久保拓摩
寺久保
アフリカの中でも、制服を着ている生徒に対する憧れみたいなものはあるのでしょうか?
刑部芳則
刑部
もしかしたらアフリカでも、都市部の「あの学校の制服が可愛い」みたいなのは、若い人の中であるかもしれませんね。
寺久保拓摩
寺久保

和装から洋装へ 日本の服装を変えた大正時代の大きな転換

入山章栄
入山
特に戦後や大正時代など、これまで研究されてきたテーマでもいいのですが、「これは結構面白い」「意外と日本人は知らないけれど重要だ」というポイントは何かありますか?

たとえば、私自身が研究していて、一つ大きく変わった定説があります。今でもインターネットなどで調べると都市伝説のように出てきますが、「なぜ日本人が洋服を着るようになったのか」という話です。

明治、大正の頃はみんな着物を着ていたわけです。それが、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災をきっかけに洋服を着るようになったと言われています。関東大震災の時、着物を着ていて逃げ遅れ、火事に巻き込まれてしまった人が大勢いた事を教訓に、洋服を着るようになったという説です。

しかし、私はそれよりも前に、大正8年(1919年)から「生活改善運動」が始まった事に注目しています。特に文部省(現:文部科学省)が推進し、衣食住全般に関わる運動なのですが、その中に「服装改善運動」がありました。

その取り組みを文部省が推進した事で、まずは学校の制服から洋装化が始まり、やがて戦争を挟んで、昭和30年代の高度経済成長につながっていくわけです。そこから衣食住の様式が、一般社会や家庭の中でも、どんどん変わっていく形になっていきます。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
文部省は、なぜ学校で洋装を進めたのでしょうか?
服装を改善しなければいけないという考えは、明治時代からありましたが、日本人の中に洋服を普及させようと思っても、なかなかうまくいきませんでした。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
それは、服装を変えた方がいい、つまり洋装の方が何かメリットがあると文部省が判断したという事なのでしょうか?それとも、世界的なトレンドに合わせた方がいい、という感覚だったのでしょうか?

文明開化が来て、日本の価値観だけでやっていけるわけではなく、国際的に付き合っていかなければいけないという時代になってきた中で、洋服が必要になってくるんです。

ただ、今と比べて値段が非常に高く、着心地も非常に悪い。着ていると健康にも被害が及ぶ問題なども出てきて、そういう問題をどう解決したらいいのかという中で、和装を推進する派と洋装を推進する派が、明治からずっと平行線のような形で議論していました。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
「和装派vs洋装派」ですね。
それをどうすればいいかという時に、大正時代ぐらいから、ようやく解決策のようなものが出てきます。いわゆる学生服のバージョンとして解決策になったのが、セーラー服なんです。動きやすいし、健康を害さない。それでいて、コストもそれなりに安価で作れます。
刑部芳則
刑部
面白いですね。洋装と和装で戦う時代があったら、今となっては想像できないですよね。
寺久保拓摩
寺久保
入山章栄
入山
逆にアフリカはどうですか?今、すごい経済成長をしていく中で、人々の服装も変わってきているのでしょうか?
変わっているかどうかは分かりませんが、アフリカに行くと、未だにカラフルで素敵な衣装を着ている方が街中を歩いています。一方で、Tシャツなど洋服を着て生活している人もいるので、その辺りは文化によっても少し分かれる気はしますね。
寺久保拓摩
寺久保
入山章栄
入山
アフリカも、これからはきっとファッションが変わってくるのですかね。
変わってきたのかもしれませんね。一方で、自分たちの文化を大事にしたいところも結構根強くありますね。
寺久保拓摩
寺久保
それが日常で見られるというのは、素晴らしいと思います。たとえば日本だと、今、着物を着ている女性を探すのは難しいじゃないですか。かつては当たり前だったものが、あまりにも欧米化して洋服が定着してしまうと、元々の日本の伝統文化が無くなってしまったように、アフリカの良さを今度は逆に保つのが難しくなって、日本と同じような形になってしまうんじゃないかなと感じます。
刑部芳則
刑部

アフリカは「大消費時代」へ 都市化と購買力の高まりで変わる市場

入山章栄
入山
寺久保さんは今、アフリカでケニアやナイジェリアに投資されていますよね。『浜カフェ』にご来店いただくのも1、2年ぶりだと思いますが、今の状況はどんな感じでしょうか?
最近は「大消費時代」を迎えようとしていると感じる事があります。ナイジェリアの首都ラゴスは今、人口1700万人くらいの都市になっています。エジプトのカイロも、今は2200万人ほどの大都市になっています。
寺久保拓摩
寺久保
入山章栄
入山
東京よりもデカいじゃないですか。マレーシアは約2000万人ですからね。国家みたいですね。
都市化がどんどん進んで、購買力も高くなってきたので、アフリカの中のローカルブランドとかが結構台頭し始めています。過去10年でスマートフォンが一気に浸透して、視力が落ちた人が急激に増えたので、ローカルのメガネブランドが出てきています。
寺久保拓摩
寺久保
入山章栄
入山
アフリカの方は視力が良いというイメージがありますよね。

まだ一般的に「目が悪い」という概念が無くて、目が悪い事が認識されていないんですよね。今、政府が学校や企業の中で視力検査を行って、目が悪い事への認識を広げて、メガネを作る動きが出てきています。

他では、化粧品ブランドがすごく伸びています。「メラニンリッチスキン」と言われる市場なのですが、今までアフリカの人たちの肌に合わせた化粧品の開発は、あまりされていませんでした。

欧米の商品がそのまま流通してくるだけだったのですが、購買力が上がってきて、それなりに大きな市場となってきたので、現地の人からしっかりデータを取って、現地に合わせた製品開発をするスタートアップがかなり伸びてきています。

寺久保拓摩
寺久保
入山章栄
入山
本当に大消費時代なんですね。
もう迎えようとしている、というところですね。
寺久保拓摩
寺久保
入山章栄
入山
日本も辿った道ですが、経済成長するのは良い事だけど、豊かになった結果、視力が悪くなったり、体に悪いものをいっぱい食べて、いわゆる成人病が増えたり、これからのアフリカはその辺りが課題になるんですかね。

それこそ今、糖尿病なども都市部では大きな問題になってきています。最近だと、都市の中にスポーツジムがたくさん出来ていたり、健康に気を使ったりする動きも出てきています。

元々は健康なイメージがあったのですが、既に生活習慣病のようなものも現実的な課題になってきているのはありますね。

寺久保拓摩
寺久保
まさに文明が進んでいくのは便利だけど、一方で「昔はこういうところが良かった」と回想する時代は、どこの国にも来るのかなという感じですよね。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
明治、大正、昭和史を見ていても、豊かになる事で良い部分と、逆に課題となってくる部分が出てくるものですか?

私はあると思います。令和の時代だと、「昭和の時代はこうだったから、今の方が良いんだ」という人もいると思うんですけど、私は必ずしもそうではないと思っています。その時代、その時代の人たちの価値観というのは、自分たちは正しいと思って判断しているんですよね。

でも、振り返ってみると、もちろんそれは間違いだった事もあるかもしれません。確かに今は、生活がすごく便利になった一方で、昔はちょっと不便かもしれないけど、昔ならではの良さというのはいろいろあったと思います。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
今まさに、オンゴーイングで成長しているアフリカにいる寺久保さんとしては、いかがですか?

それこそ都市の生活と、郊外や田舎の方の生活とのギャップがどんどん広がっていく光景を目にしています。農村だと、まだまだ自給自足的に野菜を作って生活している人もいれば、一方で都市では、先ほど述べたような生活もあります。

その格差がどんどん開いていく事が今後どうなっていくのかというのは、すごく感じる部分ではありますね。

寺久保拓摩
寺久保

なぜ人はおしゃれをしたくなる? 経済成長とファッションの深い関係

たがえみ
たがえみ

明治から大正にかけて、何かが発展する原動力になっているものは変わってきているのでしょうか?経済的な意味でもそうですし、洋服だったら洋装になっていく過程で何がきっかけになっているのか。

たとえば貧困なのか、あるいは「おしゃれになりたい」という欲求なのか。そうした欲求がどう変わっているのかに興味があります。

流行やファッションというのは、もともと「流行」という意味で、それがある意味、洋服や服装という形になっているじゃないですか。元々のファッションは和服ですよね。

ただ、その和服にしても、質の違いや色、模様などは、年によって変わっていくわけです。やがて洋服になっていくわけですが、メディアによる影響が一番大きいと思います。

「今年はこういうものですよ」とか、「こういうのがいいですね」といった情報を、読み手や見た人が受け取って、憧れを抱く。自分も同じようなものを着たい、買いたいという欲求はあると思うんですよね。

刑部芳則
刑部

ナイジェリアでは今、女性が給料の半分をファッションと美容に毎月投資しています。12歳くらいのナイジェリアの女性に「これ、本当なの?」と聞いたら、みんな「本当だよ」と言っていました。

背景としては、毎週末にパーティーや結婚式があったり、着飾る事が社会的なステータスでもあったりするのので、そういうところにお金を投資していく事がすごくモチベーションになっている話だったので、逆に日本の歴史では、その当時どうだったのかというのはすごく気になりました。

寺久保拓摩
寺久保
たがえみ
たがえみ
収入の中で、ファッションや美容に使う割合がどのくらいだったのか、ご存じですか?
男性と女性とでは大きく違うと思いますし、女性の方がかなり大きいと思います。化粧やファッションにかける金額とか、あとは年齢によっても違いますよね。若い人の方が、そちらにかける支出は大きいと思います。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
元々、女性は着飾りたいとか、綺麗になりたいという欲求が根源的にあって、お金がない時は当然難しいじゃないですか。
豊かになってくると、どこかで一気にみんなが使うから、「みんながやるから私もやる」みたいになってくるんですかね?
女性の場合、「職業婦人」という言葉が大正時代に出てくるように、それまであまり働く事がありませんでした。しかし、高等女学校などに通う女の子は、親の収入が一定程度高いわけですよ。そうすると、毎日着飾ってくるわけで、競争が始まるわけです。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
いつ頃の時代からの話ですか?

もう明治時代からですね。だから、学校が校則を作って、「華美なものはいけない」とか、「こういうデザインのものは着てはいけない」とか、一定の決まりができて、それがやがて制服になって、制限がかけられる事がありました。

若い女性の中である程度変わるとなると、そういった競争が始まるし、職業婦人は一定程度の収入が得られます。そうすると今度は、着物から洋服へと変わって、洋服の中でも良いものを買ったり、ブランドものを選んだり、あるいは外国の化粧品を使ってみたりする事が、一つのステータスになって、働いていくという事なんですね。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
今の人たちと変わりませんね。日本の場合、少なくとも江戸時代では女性は結構華やかだったのでしょうね。

士農工商による差はあって、花魁はちょっと別格というか、華やかさで客引きをしているような感じもありました。武士の家はある程度収入があるので、それなりに良いものが着られるというのはあります。

農工商民といっても、農民の場合は貧富の格差が激しいので、みんながみんな着られるわけではありません。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
日本だと、あまねく女性がおしゃれなどに、ちゃんとお金を使って競い合えるようになったのが、結構いい時代だという事ですね。それは戦後という感じでしょうか?
今の生活の原点、今が当たり前だと思うようになるのは、やはり高度経済成長です。昭和30年頃に神武景気が始まって以降、それまではホワイトカラーの人たち、一部の年層での中間層と呼ばれる人たちの間では、そういうような生活をしていましたが、それ以外の人たちは、そう簡単にはいかないですよね。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
やはり1960年代、70年代ぐらいからなんですね。寺久保さんは、どうですか?戦後にデジタルをぶち込もうとしている立場からすると、まさに日本もそうだったという事ですね。
高度経済成長当時の日本が、今のアフリカがこれから成長しようとしているタイミングにすごく近いとは思っていました。今のお話を聞いて、文化的な背景からもすごく近しい部分があると思いましたね。
寺久保拓摩
寺久保

なぜ人は勲章を欲しがるのか? 「権威と欲望」のメカニズムを読み解く

入山章栄
入山
刑部さんは『勲章の近代史 権威と欲望のメカニズム』(吉川弘文館)という本を出されていますよね。ファッションや歌謡曲だけでなく、勲章にも詳しいという事ですが、我々のような素人にも分かるように、改めて「勲章って何なの?」というところから、歴史も含めて概要を教えていただけますか?
日本の勲章制度は明治8年(1875年)、明治時代の初めに生まれました。元々は、政治家や官僚などに与えるものとして設けられました。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
政府が与えたものだったのでしょうか?
今もそうですが、勲章は天皇陛下が国民に与えるもの、臣下に与えるものです。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
まず根本的に、天皇陛下が授けるものが勲章なんですね。我々はそこから分かってないですよね。

勲章は元々、天皇との距離を測るために作られています。政治的な話になりますが、元々は士農工商で、明治政府は朝廷と幕府があって、幕府が倒れて朝廷による新政府ができましたよね。

その時に武家と公家が合体して、新しい政治体制ができるわけですが、武家には一番上に殿様である「諸侯」がいて、新政府の中に入っていきます。しかし、実際に政治を行っていたのは、大久保利通や木戸孝允といった、いわば殿様の家来たちなんですね。

そうすると、自分たちが政治を動かそうと思っても、公家や諸侯に反対されるとうまくいきません。公家や諸侯は天皇から高い位をもらっている一方で、自分たちは位が低く、位を持っていない人もいる。そうすると、政治的な発言力も弱いんです。

その立場をどう逆転していくかという時に、勲章という制度が出てくるんですね。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
つまり、大久保利通や西郷隆盛、木戸孝允のように、立場は低いけれど実際に政治を動かしていた人たちに、明治天皇が勲章を与える事で、同じ地位まで引き上げるという事ですね。
逆に言うと、公家や諸侯でも勲章をもらっていない人たちが多いです。勲一等は一番上の位なので、木戸や大久保が勲一等をもらう事で、天皇に近い存在となりました。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
勲章を与える事で、その人の政治権力における権威づけになるわけですね。

今は無くなってしまいましたが、戦前には官僚の中に「勅任官」「奏任官」「判任官」がいました。勅任官は、天皇が任命する一番上の官僚です。奏任官は大臣が天皇に奏上して任命する官僚、判任官は大臣が各省で自らの判断によって任命できる下級官吏です。

この勅任官、奏任官、判任官には、それぞれ「官等」があります。その官等に応じて、公務員として何年勤務したかによって、勲一等から勲八等まで、受けられる勲章が定められています。当然、勅任官になった人間の方が、高い勲章をもらう事ができます。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
面白いなと思ったのが、今の日本の官僚の人たちも、だいたい係長くらいまでなると、意外と勲章をもらえるらしいんですよ。辞めるタイミングなのか、辞めた後なのかは知りませんが、そういう世界があるんだと思いました。皆さん、勲章が欲しいんですね。
不思議ですよね。やっぱり欲しがりますよね。
刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
勲章という仕組みは、日本だと天皇陛下が授けるものですが、他の国にも当然あるわけですよね?

元々、日本よりもヨーロッパの王室の方が早く、王室制度のある国は基本的に勲章制度もありました。加えて、王室との外交という観点から、日本も勲章を作ったわけです。

国内では、身分を逆転していこうとする人たちの動きがあり、対外的には外交上の必要性もあって、その両方があって日本の勲章制度はできています。

刑部芳則
刑部
入山章栄
入山
勲章って、実は日本が近代化する上で必要な機能装置だったんですね。