五領田 小百合
- ごりょうだ さゆり -
山形大学農学部助教 博士(理学)
山形は日本有数のラーメン消費県だ。しかしその裏で、高血圧患者数ワーストクラスという現実がある。「ラーメンのスープを飲むな」ではなく、「野菜や果物を食べよう」——行動経済学を武器に、地域の食文化と健康を両立させる研究者がいる。
山形は日本有数のラーメン消費県で高血圧はワーストクラス。しかし、「食べるな、塩分(ナトリウム)摂取を減らせ」と注意しても人は動かない。そこで五領田氏は発想を転換し、野菜等からカリウムを積極的に摂取することで、塩分を体外に排出する「排塩」に着目。鶴岡の在来作物・だだちゃ豆が枝豆の約3倍のカリウムを含むことを突き止め、ヒト臨床試験で排塩効果を検証した。「野菜や果物を買ってバランスよく食べてください」というアプローチだから、農家は潤い、住民は健康になり、地域経済が回る。この取り組みは山形県全域へと展開を進めている。「農から健幸®(健康×幸福)をつくる」を掲げる彼女の研究者ヒストリーと今後の展望について追った。
五領田小百合氏は、ハーバード公衆衛生大学院で公衆衛生学領域に行動経済学の手法を取り入れる方法を学び、調理師免許を持ち、農業経営者の資格まで取得した「医×食×農」の掛け算型研究者だ。「農から健幸®」モデルを提唱し、農産物の栽培から食品加工、栄養成分分析、ヒト臨床試験を一貫し、商品開発、自治体・観光連携と研究成果が暮らしに届くまでを実装し、地域経済の持続可能性と住民の健康を両立する方法論を確立している。山形は日本有数のラーメン消費県で高血圧はワーストクラス。しかし、「食べるな、塩分(ナトリウム)摂取を減らせ」と注意しても人は動かない。そこで五領田氏は発想を転換し、野菜等からカリウムを積極的に摂取することで、塩分を体外に排出する「排塩」に着目。鶴岡の在来作物・だだちゃ豆が枝豆の約3倍のカリウムを含むことを突き止め、ヒト臨床試験で排塩効果を検証した。「野菜や果物を買ってバランスよく食べてください」というアプローチだから、農家は潤い、住民は健康になり、地域経済が回る。この取り組みは山形県全域へと展開を進めている。「農から健幸®(健康×幸福)をつくる」を掲げる彼女の研究者ヒストリーと今後の展望について追った。
日本で高血圧を抱える人は約4300万人。およそ3人に1人だ。世界では14億人にのぼる。
山形県は高血圧の人の割合が全国でも高い水準にあり、女性は全国2位、男性は全国3位という不名誉な順位にある。原因ははっきりしている。食塩の過剰摂取だ。
「ラーメン屋さんがめちゃくちゃ多いんですよ。山形は全国で1番消費額が多いですね」
五領田はそう話す。総務省の家計調査によれば、山形市は2024年にラーメン外食費で3年連続の日本一を達成した。1世帯あたり年間約2万2000円。2位の新潟市を6000円以上引き離している。
なぜ山形はこれほどラーメンを食べるのか。理由は明快だ。冬だけでなく夏も食べる文化がある。山形は盆地で夏の暑さが厳しい。それでも氷を浮かべた「冷やしラーメン」があるから、年中ラーメンを食べ続けられる。
さらに、日本海側には塩漬け文化が根づいている。雪で食材へのアクセスが難しくなる冬に備え、保存食として塩漬けが発達した。漬物、味噌、塩蔵の魚——美味しさと引き換えに、高血圧のリスクを背負ってきた歴史がある。
従来のアプローチは明快だった。ラーメンを控えろ。スープを飲むな。漬物を減らせ。減塩調味料を使え。
「みんな分かっているんです。でも、それは続けられないんですよ」
正論は通じない。それが五領田の出発点だ。
五領田は、厚生労働省系の「減塩プロジェクト」のメンバーでもあり、国を挙げて減塩を促進し、高血圧対策を推進する立場にいる。
「正論言っても人は動かないっていうところを前提にしながら、アプローチをしなきゃいけないと思うので」
「みんな『美味しいのに食べるな、減らせ』と言われるのは嫌なんです。だったら『これを食べて!』という方が、人は動くんです」
塩分、つまりナトリウムが体内に溜まると高血圧になる。では、溜まったナトリウムを排出すればいい。そのために必要なのがカリウムだ。カリウムは、野菜や果物に多く含まれる。
「減塩」ではなく「排塩」。アプローチが180度変わる。
「食べるな、減らせ」から「食べよう」へ。
この「排塩」の考え方自体は、予防医学の世界では以前から知られていた。高血圧を研究する専門家の間では、ここ数年「減塩と排塩、どちらも大事だ」という認識が広まっている。日本高血圧学会のガイドラインも、野菜や果物の積極摂取を推奨している。
しかし、一般にはなかなか浸透していなかった。
五領田自身、「排塩」という言葉を初めて聞いたという人が多いことに驚いたという。
「排塩を率先してやっている企業も、今はまだ比較的少ないと思います」
研究者の間で閉じていた知見。市民権を得られずに埋もれてきたアプローチ。それを掘り起こし、どう社会に届けるか。五領田が選んだのは、「農」との接続だった。

山形大学農学部の所在地である鶴岡市はユネスコ食文化創造都市に認定されている。在来作物の宝庫だ。
五領田が注目したのは「だだちゃ豆」だった。庄内地方で古くから栽培されてきた枝豆で、旨味が強いことで知られる。8月から9月が旬で、地元の人々に愛されてきた。
「地域の方々に教えてもらいながら、栽培から始めたんです」
五領田の研究室では、学生たちと一緒にだだちゃ豆を育て、収穫選別し、衛生施設で加工、栄養成分を分析した。小さな研究室での地道な作業だ。
排塩効果に関わる栄養分析の結果は驚くべきものだった。
「分析の結果、一般的な枝豆の約3倍ものカリウムが含まれていることが判明しました」
一般的な枝豆は100gあたり590mg程度のカリウムを含む。乾燥だだちゃ豆は1700mg。およそ2.8倍だ。
「鶴岡のだだちゃ豆は、カリウム含有量が圧倒的でした。これを食べれば、農家は潤い、住民は健康になる。地域経済の持続とヘルスケアを一石二鳥で達成できるんです」
五領田は臨床試験にも踏み込んだ。ランダム化比較試験(RCT)だ。
「乾燥しただだちゃ豆を約15g、2週間食べてもらいました。手のひらにちょろっと乗る程度の量です」
体内に塩分が溜まっている人の場合、高血圧予防につながる可能性が示唆された。
ポイントは「買って食べてください」というアプローチにある。排塩は消費を増やす。農家が潤い、食品企業も参入でき、地域経済が回る。
「今までは『食べるな、減らせ』だったんですけど、今回は『買って食べてください』というアプローチです。農家さんも助けられるし、食品企業さんも巻き込めます」
健康だけを訴える研究なら、これまでもあった。五領田の研究が受け入れられた理由は、そこに「地域経済の持続」という文脈を重ねたからだ。
「経済にもいいし、地域も守られて、しかも食べて元気になれる。だったらみんなでやらない理由がない、ってなるんじゃないかなと」

体内のナトリウムとカリウムのバランスは、尿で測れる。「ナトカリ比」と呼ばれる指標だ。
ナトリウムが分子、カリウムが分母。だからカリウムが多いほど値は低くなり、高血圧のリスクは低いということになる。
日本高血圧学会のガイドラインによれば、日本人の平均ナトカリ比は約4.0。目標値は2.0。つまり、半分に下げる必要がある。
従来、この数値を正確に測るには24時間分の尿を溜めて分析する必要があった。一般の人には現実的ではない。
2014年、転機が訪れた。オムロン ヘルスケア株式会社と東北大学の研究者らによる共同研究をもとに、「ナトカリ計」が開発されたのである。尿を1〜2滴垂らせば、約30秒で測定できる。
「安く、早く、痛くない。自分の状態がすぐ見えるから、行動が変わる。研究室で調べて終わりじゃなくて、地域に実装されて初めて研究は完成するんです」
五領田はこの技術を活用した。鶴岡市の医療機関と連携して全住民を対象にまずは特定保健指導の対象者からナトカリ比測定を導入予定である。

測定するだけで行動が変わる。これは宮城県登米市での先行研究でも確認されている。東北大学のメディカル・メガバンク機構が2017年から2年間、特定健診でナトカリ比を測定したところ、住民全体のナトカリ比と血圧が統計的に有意に低下した。
健診会場で自分の数値を見た住民同士が、「漬物の量を減らそうか」「味噌汁を1日3回飲んでいるからナトカリ比が高いのかな」と話し合う姿が見られたという。
「見える化」が行動変容を促す。行動経済学の知見が、ここでも活きている。
現在、この取り組みは山形県全域へと広がっている。
五領田の経歴は異色だ。学部、修士、博士をすべて異なる分野で取得している。
日本のアカデミアでは、これは「一貫性がない」と見なされる。
「研究というのは深みを求めるものだから、学部から博士まで一貫して同じ分野を深めるべきだ、っていう教育を受けてきたので、留学するまでは肩身の狭い生活をしていました。1つのことが続かないタイプの人間っていうレッテルを貼られて。」
転機は、ハーバード公衆衛生大学院への留学だった。
指導教官はイチロー・カワチ教授。「ソーシャルキャピタル」——人と人との繋がりが健康を規定する——という概念を体系化した、社会疫学の世界的権威だ。
カワチ教授は、五領田の経歴を見て言った。
「いろんなことに興味を持てるのは才能だ。キャリアの掛け算をしなさい」
五領田にとって、救いの言葉だった。
「留学先に行ってからは真逆でしたね。だからいろんなことに興味を持てるのは才能だと。それぞれで学んだことを掛け算してみなさい、というのがイチロー先生の教えでした」
カワチ教授自身も、内科医からキャリアをスタートし、禁煙対策、ソーシャルキャピタル、行動経済学と、領域を広げてきた研究者だ。
「僕自身もいろんな掛け算をしてるんだよ、っていうのは私としては本当に1番の救いでしたね。本当にここに来れて良かったと」
帰国後、五領田は厚生労働省系の国立研究開発法人の研究所に戻った。しかし、当時は行政にいても社会実装の推進は難しく、ビジネスに近いところで実装する必要があった。
周囲は大反対した。
「せっかく国立の研究所にいるのに、お前は何を言ってるんだと言われました」
それでも、五領田は行動経済学の実装研究を推進すべく、店舗を持つ辻調理教育研究所に移った。ミシュランシェフを多数輩出する、日本屈指の調理師学校だ。
辻調で五領田が取り組んだのは、行動経済学の実店舗への応用だった。
「どう手を加えると何が売れるか、みたいなことをやっていました」
POPの文言を変える。商品の配置を工夫する。選択肢の提示順を変える。商品が記憶に残る仕掛けをする。
これらは「ナッジ」と呼ばれる手法だ。人の行動を強制せず、選択の自由を残しながら、望ましい方向に誘導する。行動経済学の代表的な応用例だ。
「健康に関心が低い層に対して、努力を強いることなく、健康志向の商品を選んでもらう」
結果は明確だった。健康志向商品の売上が2倍以上に向上した。
「学術的に言われている理論に基づいて、現場で実装してみたらどうなるのか、ということを検証できたんです」
この成果で、五領田は栄養学のアジア大会でベストポスター賞を受賞。超異分野学会でグランプリも獲得した。
しかし、食に近づくほど、別の問題が見えてきた。
「食に近いところでやればやるほど、世界的には食料難が課題だということに気づいて」
どう売るか、という下流の話だけでは課題解決には足りない。生産現場をはじめ、さらに上流を知らなければ、本当の意味で社会課題の解決にはつながらない。
「生産現場を知らないと、上流から全部つながらないと、店舗からアプローチしても、繋がっていなければ何にも意味をなさない、ということに気がついたんです。」
2020年、五領田は鶴岡市に移った。
辻調と鶴岡市は連携協定を結んでいた。社員研修の行き先が鶴岡だったこともある。その縁もあり、鶴岡の農業経営者育成学校に入学した。
「研究員をやめて農家をやって。農作業着来てトラクターを運転してました」
1年半、汗をかいた。なぜそこまでしたのか。
「健康には関心の薄い人を含め、一般の人たちの気持ちをやっぱり知りたかった、というのが1番です。」
健康に興味がある人たちの中にいても、本当に届けたい相手のことは分からない。変わってほしい人たち——健康に無関心な人たち——が何を大事にして生きているのか。そこに寄り添わなければ、行動は変わらない。
「回り道かもしれないけど、多分1番最適というか、むしろ1番早い方法じゃないかなと思いました。」
農業経営者育成学校で学び、農林水産省から「認定就農者」の資格も取得した。事業も法人化した。
「そこまでやると、農家さんも味方についてくださいました。ちょっと大変でしたけど。」
2021年11月、山形大学農学部で研究室を持つことになった。「農から健幸®」プロジェクトが本格的に動き出した。
農学部に来て、環境が一変した。
「それまで、健康、栄養が大事、大好きっていう人たちばっかりに囲まれてやってきましたけど、農学部に来てよかったのは、全くそう思っていない人にも出会えたことです」
オセロに例えた。
「自分だけが黒で、周りが全部白、みたいな状態で、1個ずつひっくり返していかなきゃいけないような」
どうすれば相手がひっくり返るか。それを考えるのが仕事になった。
「どうやったらその人がくるっとひっくり返ってくれるか。農の人たちはやっぱり農が大事だから、その人たちが大事にしてる価値観に寄り添いながら、健康のことを話すのはその後です」
健康だけを訴求しても人は動かない。行動経済学が教える原則だ。
「本当にやりたいことをそのまま真正面から思いっきりストレートボール投げちゃダメっていうのが大事かなと」
農家にとって大事なのは農業を続けられることだ。住民にとって大事なのは美味しいものを食べ続けられること。行政にとって大事なのは医療費・社会保障費の削減と地域経済の活性化。
それぞれの価値観に寄り添いながら、結果として健康が実現する設計を作る。
「その人たちが本当に望んでいること、幸せだと感じられることに寄り添うようなアプローチを取っていけると、同じ方向を見られると、一緒に動き始めてくれるなという実感をすごく得られています。」
「農から健幸®」プロジェクトは、五領田の研究室だけで完結するものではない。
慶應義塾大学先端生命科学研究所(先端研)との連携が進んでいる。メタボローム解析——代謝物を網羅的に分析する技術——を専門とする研究者たちだ。
「先端研の杉本先生、小倉先生、にも排塩のプロジェクトに参画していただくことになって、メタボローム解析をやっていただく予定です」
五領田の研究室は行動科学、つまり「ソフト」な部分を担当する。一方、先端研は「ハード」な科学分析を担う。
「ソフトなところはうちでやって、しっかりとしたバイオサイエンスのところは慶應の先端研様にお願いして、という形です」
さらに、山形大学の学内連携も広がっている。
工学部の長峯教授は、センサー開発の第一人者である。五領田との共同研究で、汗から免疫状態を検出する方法を確立した。
医学部、工学部、山形市の本部キャンパス(文系・データサイエンス系)——そして農学部、4つのキャンパス全てから研究者の協力があり、「農から健幸®」プロジェクトが展開している。
「学長や研究理事が旗振り役でしてくださって、全キャンパスの先生と横断して研究をやれています。」
鶴岡食文化創造研究所(TGI)が、この異分野融合を一段と推進できると期待している。

「農から健幸®」プロジェクトは高血圧対策だけではない。
鮭ボールは、川鮭を活用した新商品だ。これまで食用には使われてこなかった部位を、唐揚げに仕立てた。
「未利用資源である川鮭を活用した新商品です。観光施設での実践販売を通じて、地域経済、雇用に貢献します」
五領田の研究室で試作を重ね、レシピを工夫した。揚げ物だが、できるだけヘルシーに。地域の高齢者でも喜んで食べてもらえるように。
「ただのフードロス対策ではありません。『健康にいいから』じゃなくて、『美味しいから』『食べやすいから』選ぶ、という行動経済学を応用した仕掛けです」
メディアにも取り上げられ、問い合わせが相次いだ。山形県漁業組合との連携も進んでいる。今後は県内全域の道の駅で販売予定である。
2025年、五領田はオーストリア・ウィーンで開催された国際行動医学会で研究成果を発表した。

帰国後、日本行動医学会から表彰された。
この成果を受けて、展開は一気に加速した。山形県内の自治体との協定が次々と結ばれている。
五領田は、このモデルの汎用性を強調する。
「このモデルはどこでも実装が可能なスキームだと思うんですよね。日本全国でやってもいいわけで」
どの地域にも、その土地ならではの食材がある。それを科学的に分析し、健康価値を見出し、地域経済と結びつける。鶴岡で確立した方法論は、全国どこでも適用できる。
「日本中の様々な自治体が消滅していくっていう話を山ほど聞く中で、『農から健幸®』モデルを取り入れることは、地域社会がより良い方向に向かえるようなストラテジーになる可能性があると考えています」
日本はヘルスケア研究の先進国。高血圧患者は世界で14億人。市場規模は途方もなく大きい。
「正論を言っても人は動きません」
五領田は繰り返す。
「『幸せ』と感じることに寄り添うアプローチが必要です」
ラーメンを我慢しろ、という正論は、食文化を愛する人々には響かない。漬物を減らせ、という正論は、雪国の知恵を否定することになる。
地元の農産物を買って、農家を応援しよう。そういう提案なら、人は動く。
農家は潤い、住民は健康になり、地域経済は持続する。五領田の研究は、地域社会の新たなサイクルを作ることにある。